風水デザイン建築で暮らす
風水理論バリバリで完全無欠ラッキー建築をデザインしたもらって、そこに暮らしたら、それだけで幸せになるんだろうか?
この先は、信じる/信じないの世界でもあるのかもしれないが、仮に風水の理論や方位の吉凶が、現代科学で証明、認知されていないだけで、じつは真実、真理であったとしても、それだけで幸せになれるようには、到底思えない。
俗物的に数十年生きてきて、仕事や会社で、努力もし、がんばりもしたが、最後、それだけではない運といったものは、どうしても感じてはいる。自分の実力だけじゃない、自分もがんばったけれども、最後のところで運に左右される要素は、どうしたって残る。自分の意志とは違うところで流れが決まり、それに流され人生に大きな変化が、いい意味でも悪い意味でも起きたことがある。そこには目に見えない力があるのかねぇと、俺は謙虚に思わざるを得ない。
それでも、そういった目に見えぬ力だけをあてにしているとしたら、それはただのバカにしか思えない。
風水の理論の詳細まで知らないが、運気とか気の流れとか、いい気の流れ、悪い気の流れといったことを信じるとしたら、方角よりも間取りよりもグッズの類よりも、一番大きな影響を与えるのは、人間の想念であり心であり行動なんじゃないだろうか。自分の心が卑しいままであったり、人を騙すようなことだけを考えているとしたら、風水でいい気の流れをどうこうしようと、それ以上に、ど汚い流れを自分で生み出しているように思う。
神は自らを助くるものを助く。自分で努力しないとどうしょうもない。
求めよさらば与えられれん。求めるといっても、求め方が問題で、必死で扉をたたけという比喩が語られている。
最初から、神様なり目に見えぬ力などをあてにしろなんて、言ってはおらんのだよなw
風水を背景にデザインされた建築そのものが、いいか悪いか、俺には、わからない。けれで自分で注文建築をするという生涯で、あまり数多くない機会が、もう1度あるとしたらば、人として、自分としてできる限りの知恵とエネルギーを使いたいと思う。
この先は、信じる/信じないの世界でもあるのかもしれないが、仮に風水の理論や方位の吉凶が、現代科学で証明、認知されていないだけで、じつは真実、真理であったとしても、それだけで幸せになれるようには、到底思えない。
俗物的に数十年生きてきて、仕事や会社で、努力もし、がんばりもしたが、最後、それだけではない運といったものは、どうしても感じてはいる。自分の実力だけじゃない、自分もがんばったけれども、最後のところで運に左右される要素は、どうしたって残る。自分の意志とは違うところで流れが決まり、それに流され人生に大きな変化が、いい意味でも悪い意味でも起きたことがある。そこには目に見えない力があるのかねぇと、俺は謙虚に思わざるを得ない。
それでも、そういった目に見えぬ力だけをあてにしているとしたら、それはただのバカにしか思えない。
風水の理論の詳細まで知らないが、運気とか気の流れとか、いい気の流れ、悪い気の流れといったことを信じるとしたら、方角よりも間取りよりもグッズの類よりも、一番大きな影響を与えるのは、人間の想念であり心であり行動なんじゃないだろうか。自分の心が卑しいままであったり、人を騙すようなことだけを考えているとしたら、風水でいい気の流れをどうこうしようと、それ以上に、ど汚い流れを自分で生み出しているように思う。
神は自らを助くるものを助く。自分で努力しないとどうしょうもない。
求めよさらば与えられれん。求めるといっても、求め方が問題で、必死で扉をたたけという比喩が語られている。
最初から、神様なり目に見えぬ力などをあてにしろなんて、言ってはおらんのだよなw
風水を背景にデザインされた建築そのものが、いいか悪いか、俺には、わからない。けれで自分で注文建築をするという生涯で、あまり数多くない機会が、もう1度あるとしたらば、人として、自分としてできる限りの知恵とエネルギーを使いたいと思う。
関連ページ
- 建築と風水ベースのデザイン
- 新築で住宅を建てるなんとことは、、普通のサラリーマンであれば、生涯で一度あるかどうかじゃないだろうか。個人商店で自営業をしていても、それほど誰かれもができるというわけじゃない。デザイナーによる建売住宅をローンを組んで購入するのでも、同じだろうが、やはりそれほど機会の多くない買い物だ。いろいろなことにこだわり、また考えて建築するだろうし、購入するだろう。建築の時に考えることの要素として、デザインや機
- 建築と方角の吉凶
- デザインなんて言葉が日本で使われるずっと前の時代から、建築と方位、方角の話は語られてきている。 1990年代に日本で風水といったもの、言葉がブームになどになるずっと前から、家相として日本でも言われてきていることだ。 もとは中国で産まれた風水の原型が飛鳥時代くらいに伝わったとされ、家相学など日本独自の発展をしたものだ。中国では風水は別に発展しているが、そこにあまり関係は生まれなかったようだ。
- 方角の吉凶
- 風水とは別に言われてきた建築における方角の吉凶には、一般的な科学の目や一般常識でみても、納得のいく話もある。日本の木造家屋の特色を踏まえ、自然環境やその頃の社会習慣、季節の太陽の位置、風の角度、強さ、気温などの要素をベースに、経験則から、家のこの方向に、こういうものがあると吉、凶といったことが言われたのではないかと思うような事柄だ。しかし、こういった積み上げられた経験をベースに唱えられてきた建築の
- 機能性と吉凶の一致
- 機能や性能を優先してデザインした結果、昔からの方位方角の吉凶や風水にマッチしてしまうこともあると思う。 標高の高い別荘などの建築で、夜に備え、西の太陽をできるだけ長く取り入れようと、大きな窓を設けたというケースがある。夏は涼しいので西日の暑さは問題ではないのだ。 一方、それほどの寒冷地ではないなら、夏の暑さへの対策を重視する地域では、西に大きな窓を設けるのは、避けたほうがいいことだろう。 西
- 民話や神話の伝承
- 建築の機能や性能の面から考えて、あるいは昔の社会的な慣習から考えて、理解、納得できる方角、方位の吉凶もあるのだが、それでは理解が難しいことも少なくない。 その中のいくつかは、神話や民話で、あるいは土俗の宗教を背景にして、この方角にXXがあるからいい悪いといったことが言われている要素も含まれているようだ。これはもう民俗学とか文化人類学の研究テーマの領域で、詳細に語るには、著者は知識が不足し
- 風水の理論から導きだされている方位、方角の吉凶
- 自然環境や社会習慣か出されたであろう方角の吉凶、神話や民話、伝承を背景にして導きだれた方位、方角のヨシアシがあるであろうことを、これまで書いてきた。 しかし、風水で言われる吉凶には、こういったことでは説明のできないことも唱えられている。 現代の主流になっている科学は、万能ではないと思っている。まだまだわからないことが多いのだろうと思う。いまだ一般的な科学では、存在が証明されていないことが、
- 風水デザイン建築で暮らす
- 風水理論バリバリで完全無欠ラッキー建築をデザインしたもらって、そこに暮らしたら、それだけで幸せになるんだろうか? この先は、信じる/信じないの世界でもあるのかもしれないが、仮に風水の理論や方位の吉凶が、現代科学で証明、認知されていないだけで、じつは真実、真理であったとしても、それだけで幸せになれるようには、到底思えない。 俗物的に数十年生きてきて、仕事や会社で、努力もし、がんばりもしたが、最後